年が明けて

22日の朝に実家の犬が亡くなった連絡が入っていて、仕事中も一人になったらずっと泣いて、夜になってもどうしようもないのでブログを書こうとしたら1年ぶりでびっくりした。

 

はなちゃん

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葉っぱの中の写真は2010年にiPhone 4を買ってすぐに撮った写真で、気に入って今でも壁紙にしている。

 

私が小学3年生のときに柴犬のブリーダーまがいをしていた田舎の祖母の家で双子の姉妹として生まれ、その後実家が家を建てた小学4年生の冬にうちに譲られてきたはなちゃん。

子犬が生まれた時、私達姉妹が犬の命名権を得たので私が「ちよ」妹が「はな」と名付けて祖母の家に行くたびに可愛がっていました。

ちなみに祖母の家と言っていますが、祖母は年長の頃に亡くなったので当時も叔父しか住んでいませんでしたがそれでも祖母の家と呼びます。

 

そして犬を譲ってもらう際に「はな」がくる予定でしたが、叔父の軽トラに載せられてやってきた犬の前足の模様は「ちよ」でした。叔父はブリーダーまがいをしていましたがその辺大雑把でした。

うちもうちなので犬違いには気づきましたが、そのまま「ちよ」を「はな」として飼うことになりました。どちらも可愛い犬だったのでまぁこれもそういう巡り合わせかと思いました。今思えば名前は元の名前で呼べよと思いましたけど。

 

祖母の家に残ったちよはその後2匹か3匹の子犬を産みましたが、私が中学生の頃に最後に産んだ子供と一緒に消えてしまいました。

祖母の家は田舎に輪をかけた田舎でした。田舎では犬が嫌いでよその家の犬に農薬などを飲ませる昭和時代の遺物のような人がいます。恐らくそういった人に狙われたのではないかとのことでした。

私は中学生という年でしたがそれが信じられず、祖母の家の前の川に好物のビーフジャーキーを流したりして、家出をした親子の犬に届くことを願ったりしていました。

このあたりは幼い頃からお盆に行っていた千体流しの影響です。

 

はなは実家に連れてきた後すぐに避妊手術をしました。ちよが産んだちびという子が今残っている祖母の柴犬の最後の血縁です。

ちびは子供を作ることはありませんでした、もう年も10を越しているので、本当にこの子で最後です。顔がシュッとしてきれいな柴犬の家系でした。

 

話は私が小学生に戻って、輪が一つ抜けた田舎に引っ越してきたはなちゃんです。

うちに来て初めての散歩を覚えています。

朝小学校に登校する時に妹と母親と3人と1匹で途中まで歩いていました。

田舎の割に車の交通量が多いところだったので、以前までほとんどみなかった車にびっくりして道の真中で粗相してました。道路には徐々に慣らすことにしました。

しばらくは朝6時ごろに私が起きて散歩をしていましたが、徐々に母親に頼むようになりました。私は朝が弱い。

そうして家の鍵を忘れて母親が帰ってくるまでよく庭で一緒に佇んだり遊んだり、優秀な番犬だったので郵便局の人や夕刊配達の人に吠えるのをたしなめながら過ごしてきました。

ただ家族には優しく、私が散歩中に転んで膝を擦りむいた日には傷口を舐めてくれました。今思えば公衆衛生上あまりよくないですが、そこはもうどうでもいいです。

親戚の山で作業中に1匹で散策して蛇に噛まれたり、父親の車にひかれかけた事もありましたが元気に過ごしてきました。ちなみにはなは猫を見ると異様に興奮して追いかけるクセがあったのですが、父親の車と接触し骨折などはしていないものの1歩進むのに1分という時がありました。そんな時でも猫を見ると走り出すような犬でした。なんやねん。あと車にバックモニターがついているとバックモニターを過信して後方確認が甘くなりやすい。

高校生になってアルバイトをするようになって、バイト先のスーパーでおやつを買ってよく帰りました。いつも美味しそうに食べてくれました。またこの頃から私が実家を出る21歳までよく夜の9時や10時に母親と一緒に夜の散歩に出かけました。はなはなかなか帰ろうと言わないのでよく長い距離を歩きました。

 

そうして就職して関西に出てきました。

ずっと出たいと思ってた地元も嫌いな人がいただけで周りの環境は好きだということが分かったので実家には頻繁に帰りました。

その後しばらくは散歩の距離も以前と変わらなかったですが、そのあとはなが15歳を超える2014年頃には夜の散歩に出かけても早い段階で帰りたがるようになりました。それでも人が乗っている自転車を引っ張って走る元気はあったので恐ろしい老犬だと思いました。

 

そうして2015年の夏が終わる頃に脱走をしました。元々脱走癖はあったのですが流石に10歳を越えてから大人しくなってましたし、16歳になってもやるんかいと思いました。

そのときは一晩見つからず、朝方近所の川原で座っているのを家族が発見しました。夜もその近くを通って呼んでいたそうですが、はなは鳴かずにいたようです。

その頃から急激に老いが襲ってきました。

まず散歩でほとんど歩かなくなったので、2016年はいつものトイレスポットまで台車で散歩するようになりました。そして去年2017年にはそれすらできずオムツをはくようになりました。はなは立派な犬でした、絶対にトイレは家の敷地でしません、どうしてものときはありましたが数えるほどですし必ず吠えて人を呼びました。そのはながオムツを履いて一日の大半を寝て過ごすようになりました。

去年のお盆は私が多忙で帰省できず、最後に過ごせたのはこの正月でした。

夕方には気分転換のため庭に出してやりふらふら歩くのを見守っていました。

庭に居着いている野良の子猫がスリっと寄ってきてももう吠えもしません。されるがままでした。家に入るとくるくると回りながら移動をします。立つときも補助がないと立てないので人を呼びます。それでも、食欲はありました。元々ドックフードは食べないのでシーチキンご飯とかそぼろご飯やクリームパンを食べてきました。高塩分高カロリー、腎臓病とかはありませんでした、奇跡。

ふらふらしつつもガツガツご飯を食べる姿を見て、戌年の今年もなんとか無事過ごして20歳の大台に登ると思っていました。2週間前のことでした。

 

21日の夜に調子が悪くなぜかまばたきをほとんどせず様子がおかしいと母親から連絡がありました。認知症も患っていたのでそのとき正気に戻ったのかな?と思っていましたが、結局その後息を引き取りました。眠るようだったそうです。

もう22日の午後には火葬場でした。棺に唐揚げとかとんかつとかシーチキンおにぎりとか花を沢山いれたそうです。流石に日常的に唐揚げやとんかつを与えてはいませんでしたが、最後に持っていけるご飯としてはきっと大喜びだったと思います。

 

私は結局この知らせを受けて、こんな日がくるとは分かっていましたがどうして地元で賃金が少ないと文句をたれながら働いて、子供時代を一緒に過ごしたはなの最後を看取らずに過ごしているんだろうと思いました。

四国を出ていいお給料をもらってもしょうがないことの方が多いと、日がほとんど当たらず天気もずっと悪いような土地でよく分からず働いて、一体何が残るんだろうと思いました。

今は何で泣いているのか理由もよくわからず泣き続けているけど、もう一緒に散歩した夕焼けも夜見た星空も台風の中過ごした時も何も戻ってこない。散歩中に振り向いて笑ってくれてるような顔で見つめてくれる事ももうない。